【
『阿弥陀仏についてお釈迦様がお説きになられた法話』
【如是我聞】
『このように私は聞きました』
(仏教経典の最初にくる定型句として使われることが多いです。
お釈迦様在世のころ、文字による教えの保存は行われませんでした。お亡くなりになられてからお弟子たちが集まり、
「私はお釈迦様からこのようにお聞かせいただいた」 →これが「如是我聞」
と意見を出し合いました。
その時の内容を文字にしました。これが仏教経典の始まりです。
お釈迦様が
「あらゆる経典の初めにこの言葉を記して、仏教以外の聖典と区別するようにせよ」
と言い残されたという伝説もあります。
「如是」は聞かせていただいた教えに信順することで、
「我聞」は聞いたことを信じて疑わないことを示します。)
【一時仏在】
『お釈迦様在世のある時』
(お釈迦様がこの人間界におられた時。
仏様が目の前におられるとは、どのような気がするのでしょうか・・・))
【舎衛国。祇樹給孤独園】
『インドにあった、舎衛国の祇樹給孤独園という所で』
(舎衛国にスダッタというお金持ちがいました。
彼は慈悲深く、身寄りのない老人や孤児の面倒を見ていました。
そのため人々から「孤独な人々に食を給する人」という意味で「給孤独」と呼ばれていました。
彼はお釈迦様に舎衛国に来ていただきたいとお願いして、承諾を得ました。
彼はお釈迦様とそのお弟子たちをお迎えする場所を探しました。
そしてその国の太子である祇陀太子の所有する園林こそ僧院を立てるのにふさわしいと考え、太子にそこを譲ってほしいと頼みました。
太子は冗談にその土地に金貨を敷きつめただけ、その土地を分けると言いました。
スダッタはすべての財産を売りつくし金貨を敷きつめていきました。
驚いた太子がその訳を聞いたところ、お釈迦様とお弟子達のために僧院を建てるという、スダッタのそのすばらしい考えに感激しました。
太子はその土地をすべて譲り、さらに樹木を寄付して僧院建設に協力しました。
「祇」は祇陀太子、「樹」は祇陀太子の寄付した樹木、「給孤独」はスダッタ、「園」は園林を示します。
京都の祇園もこの話から名づけられたといいます。
【
『千二百五十人のすぐれたお弟子たちとご一緒でした』
(比丘とは男子の出家者をいいます。
サンスクリット語の「ビクシュ」の音写で漢字の意味は有りません。
ちなみに女性の出家者は比丘尼といいます。
大比丘衆とはすぐれたお弟子という意味です。)
【皆是大阿羅漢。衆所知識】
『このお弟子たちは、みな世に知られた徳の高い阿羅漢であった』
(阿羅漢とは悟りを目指して修行する者の最高位。
しかし自らの悟りの境地には達しているが、他の人の救済を目指した「菩薩」や他の人の救済が可能な「仏」とは区別されています。
仏教を護持する「十六羅漢」や第一回仏典編集会議に集まった「五百羅漢」などは時々耳にすることがあります。)
【 】 には原文(お経のお言葉そのまま)を書きました
『 』 には現代文で意味を書きました
( ) には注釈や、おあじわいを書きました
底本は鳩摩羅什訳のものを使いました
(参考にさせていただいた文献・御著書はページ最後に 載せさせていただきました)
参考文献等
「浄土真宗聖典ー注釈版ー」 本願寺出版
「阿弥陀経の本義」 稲城選恵著 国書刊行会
「阿弥陀経に聞く」 伊東慧明著 教育新潮社
「人物まんだら」 「阿弥陀経のこたばたち」 辻本敬順著 本願寺出版
「一口法話 阿弥陀経を味わう 三十六篇」 藤枝宏壽 永田文昌堂
「浄土真宗聖典 浄土三部経ー現代語版ー」 本願寺出版
有難うございました