ドクターボンズ の経典のあじわい

長老(ちょうろう)舎利(しゃり)(ほつ)
長老(ちょうろう)舎利弗(しゃりほつ)を初めとして』
 (舎利(しゃり)(ほつ)とは弟子のお名前。お釈迦様の十大弟子に一人で「智慧(ちえ)第一(だいいち)」といわれました。
お釈迦様は
舎利(しゃり)(ほつ)をご自分の後継者(こうけいしゃ)と考えていたようですが、お釈迦様が入滅(にゅうめつ)される前に亡くなられました。

 舎利(しゃり)(ほつ)は若い時、友人の摩訶目犍蓮(まかもっけんれん)(後出)と共に祭りに行きましたが、にぎやかな祭りの中にあるむなしさを感じ、当時有名であった 思想家(しそうか)の弟子となりました。
その教えを
理解(りかい)はしたものの、心の平安(へいあん)は得られませんでした。
ある時、まことにすがすがしい
態度(たいど)で、端正(たんせい)気品(きひん)さえ感じさせる一人の沙門(しゃもん)出家者(しゅっけしゃ))を見ました。
舎利弗は
沙門(しゃもん)托鉢(たくはつ)を終えるのを待って質問をしました。

「あなたは誰のお弟子ですか」
「私は
釈迦族(しゃかぞく)(だい)沙門(しゃもん)(お釈迦様)の弟子です」
「その方はどのような
(おし)えを()くのですか」
「私は
(おし)えを受けて日も浅いので(くわ)しく(ほう)()くことはできませんがんが・・・・」


[諸(しょ)(ほう)(いん)より(しょう)じる 如来(にょらい)はその(いん)()きたもう (しょ)(ほう)(めつ)をも()きたもう (だい)沙門(しゃもん)はかくの(ごと)()きたもう]

 舎利
(しゃり)
(ほつ)はこの詩句(しく)を聞いただけで、「(ほう)()」を開き「(いん)()()(ほう)」を理解(りかい)したといいます。
この
沙門(しゃもん)はお釈迦様の最初の説法(せっぽう)(諸転(しょてん)法輪(ぼうりん))を聞いた五人の修行者(()比丘(びく))の一人アッサジでありました。

舎利(しゃり)(ほつ)生涯(しょうがい)アッサジのほうに足を向けて寝たことはなかったといいます。)

摩訶(まか)目顕犍連(もくけんれん)
(もく)(れん)尊者(そんじゃ)
(釈迦十大弟子の一人で「神通力(じんづうりき)第一」といわれています。
 お盆の行事は、『
盂蘭盆(うらぼん)(きょう)』というお経をもとにした行事といわれていますが、そのお経の主人公が目蓮尊者です。
前出の舎利弗と親友であり、この二人が釈迦教団を支えていましたが、教団が繁栄するのは彼の活躍が大きいと思われ、異教徒たちに
(うと)まれ、暗殺されたといいます。
お釈迦様からみだりに神通力を使うことを禁止されていたので、暗殺されそうな時も、神通力を使わなかったといわれています。)

摩訶(まか)迦葉(かしょう)
『摩訶迦葉』

(釈迦十大弟子の一人。
 その道の後継者という意味で
衣鉢(いはつ)を継ぐ」という言葉があります。
摩訶迦葉がお釈迦様から
(ころも)をいただいたことによる言葉です。
僧の個人所有が許されたのは
(さん)()一鉢(いっぱつ)」といい、三枚の衣と一個の器でした。
彼が出家したてのころ、お釈迦様が樹の下に座ろうとされた時、自分の
長衣(じょうえ)を折り、その上に座っていただいたことがありました。
お釈迦様はその上に座り、その衣が柔らかで見事なことを褒めました。彼はその衣をお釈迦様に差し上げ、代わりにお釈迦様の
糞掃衣(ふんぞうえ)を頂きました。
糞掃衣(ふんぞうえ)とは、ぼろ布を縫い合わせた粗末な衣です。古くなった衣の切れ端や、死者をくるんでいた布を使用したともいわれています。
現在僧侶がつけている衣も、よく見ると小さな布をはり合せて作られています。
本来衣は糞掃衣をかたどった物なのでしょう。
彼は
「頭陀(ずだ)第一といわれていました。
頭陀
(ずだ)
行とは、必要最低限の生活をする行です。そのためいつも糞掃衣(ふんぞうえ)着ていました。
それを知らない他の弟子は、彼の汚らしい姿を見て軽蔑しました。
お釈迦様は彼を傍らに呼び、自分の座を半分譲って一緒に座らせました。
「半座を分かつ」はこの故事から生まれています。
お釈迦様がご入滅の後、教団の最長老になっていた彼は、かつてお釈迦様から仏衣を頂いたことに責任を感じ、お釈迦様の説かれた事を後世に残すため、五百人の比丘を集めて第一回
仏典(ぶってん)編集(へんしゅう)会議(かいぎ)を催しました。 それが現在残っているお経(経典)です。)


【摩訶迦旃延(まかかせんねん)
『摩訶迦旃延』
(釈迦十大弟子の一人。
 インドの西辺の国出身であった彼は、自分が仕えている国の王様より、お釈迦様にその国に来ていただけるようご依頼する命令を受けました。
何人かの家来が、既にお釈迦様に会いに行っていましたが、誰もがその国にはもどって来ませんでした。
お釈迦様に弟子入りして、お釈迦様のもとで修行をしていたからでした。
彼もまたお釈迦様に会ったところ、その教えに感激しすぐ弟子入りしました。
修行をし、すばらしい弟子となった後、お釈迦様に自国に来ていただくようお願いすると、お釈迦様は自分の代わりに、彼自身が帰国するよう話しました。
帰国後、彼はお釈迦様が足を運ばなかった地域で広く教化活動したため、仏教は広まりました。
仏教の教えが、広い地域まで広まった一つの要因となったといわれています。

摩訶倶絺(まかくち)()
『マハー・コッティタ』
(一切の学業が成るまでは爪を切らないという誓いを立てて、それを守ること十数年、長爪梵(ちょうそうぼん)()と呼ばれる人物です
仏教では神通力という考えがあります。
修行によって、常人では不可能なことができるようになる力です。
十神通力といって、仏教修行者が得られるとされている十個の神通力がありますが、本来はそれ以外の得られた力も神通力に含まれるのではないかと思います。
インドでは、片足で立ち続ける人がいます。
修行により寝る時も含め立ち続けることができるというのです。
彼らにとってこれも神通力なのでしょう。
また、太陽を見続けることのできる人もいます。
目がつぶれてしまいそうですが、これができるのもまた神通力で、修行によって得られたものなのです。
爪を切らないという、一見何考えているの?と言いたくなることでも、大切な修行であったのでしょう)

離婆(りは)()
『レーヴァタ』

(舎利弗の弟で、兄のようになりたいと出家した。小欲知足の聖者
小欲知足とは、自分の持つ欲望をできるだけ少なくしていき、現在自分がどれほど恵まれているかを知るということです。
最近の日本人の多くは「働いても働いても、お金がたまらない。余裕のある暮らしがしたい」
などということが多いように思います。
はたして日本人の収入は少ないのでしょうか??
日本人の平均収入は、世界で3~4番目だそうです(2007年調べ)
では何故お金がたまらないのでしょうか?
当然使うお金が多いのです。
余裕のある暮らし! 「一戸建ての住居を持ち、車があり、子供を私立の学校にやり、年に一度は海外旅行に行く」このあたりが日本人の余裕のある暮らしだそうですが、こんなことを考えている国民は日本人くらいだそうです。
いかに我々が、贅沢をし、足るを知らない人種になってしまったのかを考えてみるべきでしょう。)


-仏説阿弥陀経ー

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参考文献等
「浄土真宗聖典ー注釈版ー」 本願寺出版
「阿弥陀経の本義」 稲城選恵著 国書刊行会
「阿弥陀経に聞く」 伊東慧明著 教育新潮社
「人物まんだら」 「阿弥陀経のこたばたち」 辻本敬順著 本願寺出版
「一口法話 阿弥陀経を味わう 三十六篇」 藤枝宏壽 永田文昌堂
「浄土真宗聖典 浄土三部経ー現代語版ー」 本願寺出版


有難うございました

【 】 には原文(お経のお言葉そのまま)を書きました
『 』 には現代文で意味を書きました
( ) には注釈や、おあじわいを書きました

                                              底本は鳩摩羅什訳のものを使いました
                                  (参考にさせていただいた文献・御著書はページ最後に 載せさせていただきました)

仏説阿弥陀経 序文 その1