先日、我が家の三男「はじめ」が卒園しました。卒園式の様子を若坊守(わかぼうもり *)が話してくれました。
 卒園児は一人一人名前を呼ばれます。元気に返事をした後、壇上に上り園長先生に卒園証書をもらい、自分の席に戻るのだそうです。保護者席に座っている保護者は、自分の子供が呼ばれたらその場で起立し、子供が着席すると同時に、着席するという決まりだそうです。事前に説明されていたそうです。しかし実際に園が求めたその動きをされた保護者は、若坊守一人であったそうです。多くはビデオ撮影のため立ち上がったり、名前を呼ばれたらこれ幸いにと立ち上がりまた撮影、子供が着席しても、まだ撮影を続けて立ちっぱなし。
 何故保護者も起立するのかを考えたとき、お世話になった先生方に敬意と感謝を示すというのが、一番大きな意味なのではないでしょうか。指導していただいた方に敬意を示すのは当然ではないですか? にもかかわらず、一礼する気も無く、ビデオ撮影。

「一生に一度のことだし・・・」

「他の人に迷惑をかけているわけでもないし・・・」

平等の思想、個性や権利の主張といった大切な考えが、中途半端な形で理解・浸透して、変な社会になっています。敬意を表すべき人に対しても、謙譲の心がない。個性の主張のために、他の人の迷惑を省みない。わがままと、権利の取り違え。このような勘違いが多いように思います。平等とはすべてを同じにするということではないのです。権利や個性の主張というのは、わがままを押し通すというのではないのです。

「尊ぶ心」「感謝の心」「自己を律する心」を考え直し、子供たちに態度で教えなければならないと思いました。

若坊守(わかぼうもり) : ここではドクターボンズの妻のことです
          坊守とは本来住職の職務を補佐し、寺院を維持管理する役職ですが、
          住職の配偶者がなることがほとんどで 坊守=住職の配偶者と考えられています。
          浄土真宗では最近、坊守は住職の配偶者でなくてもよい。また女性に限ったものでないという見解を出しました。
          よいことです 一歩前進!

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ドクターボンズのひかり ≪新4月≫