ゆったりと風を受けて泳ぐこいのぼりの季節です。
毎朝お寺から、歯科医院まで、幼稚園に通う三男、(はじめ)と一緒に車で通っています。
道すがら、こいのぼりが泳いでいます。
(はじめ)は「あそこ! あそこ! あそこも!」
と指をさしながら、こいのぼりを数えます。
でも(はじめ)の家にはこいのぼりがありません。
玄はおもちゃ屋さんのこいのぼり売り場の前を、行ったり来たりします。
「まんまちゃんの家では、こいのぼりは揚げないいんだ」
(はじめ)のお父さん(私)は言います。
毎年この時期、三人の子供達の寂しそうな顔を見ながら過ごしてきました。

 昔、武家の家では、この「菖蒲(しょうぶ)」の季節、「尚武(しょうぶ)」と言葉を掛けて、子供が武勇すぐれた者となるよう、武具や刀などを飾りました。
それに対して一般民衆階級は、鯉が元気に滝を登る様子になぞらえ、こいのぼりを考案していきました。
こいのぼりを揚げることにより、天の神に
「ここの家には、男の子がいます。天に登って、龍にでも成れますように」
と祈願したのです。

 子供が元気に成長してほしいと思わない親はいません。
しかし、浄土真宗のみ教えを受ける者にとっては、祈願などする必要は有りません。
浄土真宗は、世界で唯一、祈ることしない宗教です。
人間の際限なく起こってくる欲望を、祈ることによって満足させるかのような、偽りの宗教ではないからです。
仏様は、祈らずとも、私達をつつみ摂ろうと、躍起になってくださっています。
祈っても、聞き届けてくださらないのとは、桁違いの慈悲です。
と言っても、宗教的成長をまだみない子供は、
そんなことは理解できません。
深い意味も考えずに、皆がやっているから、なんとなく楽しそうだから、という思いで、欲しがるのでしょう。

 (はじめ)のお父さん(私)は頑としてこいのぼりを買ってくれません。
(はじめ)は、ビニール風呂敷を使って、何時間もかかって、せっせとこいのぼりを作っています。
お父さんはそのこいのぼりを、お前が成長するまで、密かに取っておくつもりです。
そしてお前が大きくなった時、そのこいのぼりを見て、考えてください。
人間として本当に必要なことを、真実の生き方はなんなのかを。

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