(こお)るような寒い日も少なくなり、春の気配を感じる季節になりました。入学、卒業、就職と私たちのまわりも、あわただしく変化する季節でもあります。わが家の末っ子「(はじめ)」も今春幼稚園の年長さんになります。毎日すくすく成長してくれるのを見ておりますと、頼もしくもあり、また有り難いことだと感謝をもしております。

 先日
御内仏(おないぶつ *)御仏飯(おぶっぱん *)をお供えさせて頂こうとした時です。「ボクも行く」といって(はじめ)もついてきました。

「そうや、このみかんもお供えしよう」


といって、大きなみかんを一つ持ってきました。先ほど自分が食べたのと同じ種類のみかんです。すでにお供えしたものでしたが、(はじめ)は知りません。お供えしようとする気持が大切だし、まあいいか、と思い


「じゃあ、もっておいで」 というと

「このみかんすごくおいしかったもん」 とにこにこしているのです。
 
 私たちは、なぜ仏様にお供え物をするのでしょうか。それは、生かされている自分を仏様に感謝し、与えられ、恵まれ、いただいた物を仏様と共に喜び感謝する姿が、お供えをするという行為となったのだと思います。

 お供えをすることは、その見返りとして、何かいいことが起こりますようにとお祈りするためとか、悪いことから守ってください、などとお願いするためでは決してありません。おちいりやすい、誤った考えなので、注意したいものです。


 お供え物は初物を、とか手に入ったらすぐに、とかいわれます。その通りだと思いますが、自分が食べてみたらすごくおいしかった、それを仏様にも食べさせてあげたい。だからお供えしよう、そう考えた子供の純粋な気持ちには、ハッとさせられました。

 重誓偈(じゅうせいげ *)を一緒に唱えた後で、(はじめ)はお仏壇の仏様と、お供えしたみかんを交互に見ながら

「仏さんもう食べたかなあ」

「食べはったよ。もう(はじめ)持っていっていいよ」
「うん!」

彼の目には確実に仏様が見えているのでしょう。少しうらやましくさえ思いました。

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御内仏(おないぶつ) : 寺院において住職やその家族が住むエリアを庫裏(くり)といいますが、庫裏に有るお仏壇のこと

御仏飯(おぶっぱん) : お仏壇にお供えするご飯のこと

重誓偈(じゅうせいげ) : 「仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)」というお経の中に有る韻文

ドクターボンズのひかり ≪3月≫