先日
「そうや、このみかんもお供えしよう」
といって、大きなみかんを一つ持ってきました。先ほど自分が食べたのと同じ種類のみかんです。すでにお供えしたものでしたが、
「じゃあ、もっておいで」 というと
「このみかんすごくおいしかったもん」 とにこにこしているのです。
私たちは、なぜ仏様にお供え物をするのでしょうか。それは、生かされている自分を仏様に感謝し、与えられ、恵まれ、いただいた物を仏様と共に喜び感謝する姿が、お供えをするという行為となったのだと思います。
お供えをすることは、その見返りとして、何かいいことが起こりますようにとお祈りするためとか、悪いことから守ってください、などとお願いするためでは決してありません。おちいりやすい、誤った考えなので、注意したいものです。
お供え物は初物を、とか手に入ったらすぐに、とかいわれます。その通りだと思いますが、自分が食べてみたらすごくおいしかった、それを仏様にも食べさせてあげたい。だからお供えしよう、そう考えた子供の純粋な気持ちには、ハッとさせられました。
「仏さんもう食べたかなあ」
「食べはったよ。もう
「うん!」
彼の目には確実に仏様が見えているのでしょう。少しうらやましくさえ思いました。
Copyright(c) 2007 Dr. bonze All Rights Resrved