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『舎利弗よ、その仏土はなぜ極楽というのでしょうか』
(仏説阿弥陀経はお釈迦様が阿弥陀仏についてお話くださっているものです。
語りかけは一番弟子の舎利弗さんになされている形式をとっています。
しかしその呼びかけは、私自身になされているといただく必要があります。
阿弥陀様のおられるお浄土をなぜ極楽というのでしょうか、とお釈迦様が私達に問いかけておられるのです。)
【其國衆生。無有衆苦。但受諸楽。故名極楽】
『その国の人々は、苦というものが無く、ただもろもろの楽のみを受けるため、極楽とよばれるのです』
(仏教では迷いの世界に「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間界・天上界」が有ると説きます。
これらの迷いの世界に生きるものすべてを、「衆生」と呼びます。
実際には私達が考えられる、衆生の範囲は「人間」という程度でしょう。
仏教を聞く時大切なことは、「衆生=私」と聞かせていただく事です。
「苦」とは何でしょうか。
四苦八苦という言葉をごぞんじでしょう。
仏教ではその四苦を「生・老・病・死」と示し、
あとの四つの苦を「愛別離苦」
「怨憎会苦」
「求不得苦」
「五蘊盛苦」のことをいいます。
それぞれの苦を簡単に言いあらわすと、「生苦は生まれいずる苦しみ」迷いの世界に生まれでる時の苦しみです。
「老苦は年をとることの苦しみ」
「病苦は病気になることの苦しみ」
「死苦は死に行く苦しみ」
「愛別離苦は愛する人・者と別れなければならない苦しみ」
「怨憎会苦はいやなものと一緒にいなければならない苦しみ」
「求不得苦は求めるものが得られない苦しみ」
「五蘊盛苦は精神や肉体の認識器官に感じる苦しみ」です。
苦の逆「楽」とは何でしょう。
人間の持つ欲望を満足させるということではなく、真実に目覚めていくということとお考え下さい。
真実とは何かを説明するのは難しいですが、感情を例に取ると、感情は複雑な感情の絡み合いで成立していますが、そこから欲望という感情を取り除いても最後まで残ったものが真実の感情と考えてみてください。
「楽」とは「酒はうまいし、姉ちゃん綺麗だ」ではありません)
【
『また舎利弗よ、極楽の世界には次のような物があります』
(いよいよこれから先が、具体的な極楽の世界の様子をお示しくださいます。)
【七重欄楯。七重羅網。七重行樹】
『極楽には、七重の欄干があり、七重の宝で飾られた綱がめぐらされており、七重の並木がめぐらされている』
(欄楯とは聖域を囲むための結界で欄干のような物。
羅網とは宝の玉で飾られた網。
サンスクリット語では「鈴の付いた網」とありそよ風に吹かれ妙なる音を奏でたに違いないと考えられます。
行樹とは並木のことです。
なぜ「七」にこだわるのか。
①六道を越えた数だから
②古代インドは七進法であり、「七」は満数だから などとあり、いずれにしても、「七」は完成をあらわ数と考えればよいでしょう。)
【皆是四寶。周帀圍繞。是故彼國。名曰極楽】
『これらの物はみな四宝でできていて、極楽世界のいたるところにめぐらせられている。これらの素晴らしい情景がゆえに極楽といわれるのである』
(四宝とは金、銀、瑠璃、玻瓈です。
瑠璃とは青玉(サファイヤ?) 玻瓈とは水晶。
周帀圍繞とはあまねく張り巡らされている様子を表します。
何故このようにおとぎ話のような世界を出してきたかを考えることが大切です。
無数の宝で覆いつくされている世界のその一つ一つの宝は、人間の欲望を表していると考えてください。
それらが満数だけ有るのです。
私達の世界は一つの宝が手に入っても又次ぎの宝がほしくなり、際限無くその欲望が続きます。すなわち我々の住む世界と浄土の世界は、全く満足の無い世界と全てが完成した世界という、次元が違う世界であるという現しです。
又逆に考えますと、それほどの宝の数と対比しなくてはならないほど、人間のもつ欲望が深いと考えるべきでしょう。
その上で、素直に極楽浄土の美しい世界を感じることも大切ですね)
参考文献等
「浄土真宗聖典ー注釈版ー」 本願寺出版
「阿弥陀経の本義」 稲城選恵著 国書刊行会
「阿弥陀経に聞く」 伊東慧明著 教育新潮社
「人物まんだら」 「阿弥陀経のこたばたち」 辻本敬順著 本願寺出版
「一口法話 阿弥陀経を味わう 三十六篇」 藤枝宏壽 永田文昌堂
「浄土真宗聖典 浄土三部経ー現代語版ー」 本願寺出版
有難うございました
【 】 には原文(お経のお言葉そのまま)を書きました
『 』 には現代文で意味を書きました
( ) には注釈や、おあじわいを書きました
底本は鳩摩羅什訳のものを使いました
(参考にさせていただいた文献・御著書はページ最後に 載せさせていただきました)