【 】 には原文(お経のお言葉そのまま)を書きました
『 』 には現代文で意味を書きました
( ) には注釈や、おあじわいを書きました
底本は鳩摩羅什訳のものを使いました
(参考にさせていただいた文献・御著書はページ最後に 載せさせていただきました)
参考文献等
「浄土真宗聖典ー注釈版ー」 本願寺出版
「阿弥陀経の本義」 稲城選恵著 国書刊行会
「阿弥陀経に聞く」 伊東慧明著 教育新潮社
「人物まんだら」 「阿弥陀経のこたばたち」 辻本敬順著 本願寺出版
「一口法話 阿弥陀経を味わう 三十六篇」 藤枝宏壽 永田文昌堂
「浄土真宗聖典 浄土三部経ー現代語版ー」 本願寺出版
有難うございました
【
『かくの如き、もろもろの大弟子たち』
(お釈迦様が、阿弥陀経をお説きになった時、そばに居られた千二百五十人のお弟子達のこと。)
【竝諸菩薩、摩訶薩】
『ならびに、もろもろの菩薩様がた』
(
つまりお弟子達とともに菩薩様がたも一緒におられたということです。
菩薩とはボディー・サットバーの音写で「悟りを求めるもの」という意味です。
摩訶薩とはマハー・サットバーの音写で、「偉大な志を持つもの」という意味で、菩薩と同意義の言葉です。
菩薩様は仏となる一歩手前の段階です。すでに全ての真理を悟っているのですが、自由自在に衆生つまり生きとし生けるもの全てを救っていく点において、仏様に及ばない段階といわれています。
しかし菩薩様になると、修行の下の段階に落ちないといわれています。
見方を変えると、いくら修行を頑張っていても、菩薩様の位に達しなければ、油断していると修行の貯蓄はなくなってしまうということです。
「声門」という修行段階があります。相当高い位です。
ある声門になった人が、仏教徒以外の人に、「私にあなたの目を下さい」と頼まれ「はい」と言って、自分の目をえぐり与えたところ、その仏教徒以外の人は「なんだこれは、薄汚い」と言ってその目玉を地面に捨て、足で踏みつけたと言います。
さすがにいくら修行を重ねてきたという声門であっても、自分が与えた目玉を踏みつけられた時 ”ムカ!”ときた。
その ”ムカ!”ときた瞬間、今まで修行をしてきたことが一切無になったと言われています。
菩薩様になるとこんな時でも修行が無になることがないのです。
もっとも、菩薩様は ”ムカ!” とこないのでしょうし、このような事態になることくらいあらかじめ見通せるのでしょう。それでこそ菩薩様なのです。
どこかの総理大臣が、「不退転の覚悟で・・・」と言っていましたが、この「不退転」と言うのは、この菩薩様が修行段階が落ちないということなのです。
どうも使われ方 それでいいの??
意味ご存知なのかな?? という感じでしたね。)
【文殊師利法王子】
『文殊菩薩』
(マンジュシュリーの音写で「文殊師利」略して「文殊」。
「法王子」は菩薩のことをいうので、「文殊菩薩」のことです。
悟りの智慧をつかさどる菩薩さまです。
慈悲の普賢菩薩とともに「釈迦如来」の脇侍となっておられます。
ちなみに文殊菩薩は獅子に乗って、お釈迦様の左に、普賢菩薩は象に乗って、お釈迦様の右に居られます。)
【阿逸多菩薩】
『弥勒菩薩』
(阿逸多はアジタの音写で、アジタは弥勒の字とされています。
弥勒菩薩は現在兜率天に居られ、次にこの世で仏となられることが約束された菩薩です。
お釈迦様の滅後五十六億七千万年後、龍華樹の下で成道され、その暁に三回の法話をされるといわれています。浄土真宗では信心を得たものは、次ぎの世で必ず仏となるとされるので、これは弥勒菩薩さまと同じだということで、信心を得た人は弥勒と同じと説かれるのです)
【乾陀訶提菩薩】
『香像菩薩』
(阿弥陀経には東方、南方、西方、北方、下方、上方の六方の仏様方が、阿弥陀様を称える所があるが、その最初、東方の浄土の教主阿閦鞞仏のもとで菩薩道を修め、尊貴第一の菩薩となられたといわれています。
浄土経典において、阿弥陀如来様の西方の浄土に対して、東方のお浄土は何か特別な扱いのように感じるのは、やはりこの点のよるのかもしれません。
【
『不休息菩薩』
(不棄精進菩薩=精進することを棄てる事が無い菩薩様または、不休息菩薩=休むことの無い菩薩様と呼ばれていたように、常に精進求道をし続けておられた菩薩様のことです)
【如是等。諸大菩薩】
『かくの如き、もろもろの菩薩様がた』
【及釈提桓因等。無量諸天大衆倶。】
『および、帝釈天らの無数の神々達もおられた』
(釈提桓因とは帝釈天のことです。
あの「寅さん」で有名な帝釈天です。
帝釈天はもともと古代インドの神で、その神々の帝王という意味で、帝という字がつくとされています。
お釈迦様がご出世されてからは、仏教の守護神となられました。
その他の仏教の守護神は、梵天、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)がおられます。
これらの神々が、尊いお弟子達と、また菩薩さま方と共に、お釈迦様のご説法を聞いておられたというのです。
そのご説法の内容が、阿弥陀如来様のことだから「仏説阿弥陀経」というのです。
当然この仏説の仏とはお釈迦様のことですよね)