ドクターボンズ の経典のあじわい

-仏説阿弥陀経ー

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参考文献等
「浄土真宗聖典ー注釈版ー」 本願寺出版
「阿弥陀経の本義」 稲城選恵著 国書刊行会
「阿弥陀経に聞く」 伊東慧明著 教育新潮社
「人物まんだら」 「阿弥陀経のこたばたち」 辻本敬順著 本願寺出版
「一口法話 阿弥陀経を味わう 三十六篇」 藤枝宏壽 永田文昌堂
「浄土真宗聖典 浄土三部経ー現代語版ー」 本願寺出版


有難うございました

憍梵波提(きょうぼんはだい)
『ガバンパティ』
(ベナレスの富豪(ふごう)の家に生まれました。
顔が牛に似ていたので、
()(おう)と呼ばれました。
辺境の地で、一人静かに修行するのを好まれました。
お釈迦様の死を聞いて、自ら焼身自殺したとされます。
()(りつ)第一。
「戒律を守る」と言う修行があります。
本来「戒」と「律」は違うものです。
「戒」とはさとりを得るために、自発的に守っていくきまりです。
「律」とはさとりを得る修行をするにあたって、あるいは教団を維持するに当たって、守るべきと定められたルールーです。
多くの「律」がありますが、その一つ一つが何ゆえ守る必要があるのかについて、最も精通していたのが、ガバンパティなのです。)


賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)
『ビンドーラ・バーラドヴァージャ』

(コーサンビー国ウデーナ王の大臣の子でバラモン出身。
説法にすぐれ、特に仏教以外の者たちへの
教化(きょうけ)はめざましく、獅子吼(ししく)第一といわれました。
神通力にも秀でていましたが、大衆の前で神通力をもてあそんだためお釈迦様に叱られたそうです。
彼はお釈迦様から、弥勒の世まで
涅槃(ねはん)せず、この世で衆生を救うように言われた、という伝説から、中国や日本では食堂に彼の像を安置したり、本堂の下陣(げじん)に像を置いて、病人が(わずら)っている所と同じところを撫でると、治るという「撫仏(なでぼとけ)・おビンズルさま」の俗信(ぞくしん)が生まれました。)


迦留陀(かるだ)()
『カールダーイン』

(お釈迦様がお生まれになった国の大臣の子供で、お釈迦様と同じ日に生まれました。
お釈迦様が太子であったころの
朋友(ほうゆう)「ご学友」でありました。
本名は「ウダーイン」といいましたが容姿が悪かったため、「カール
(黒い)ウダーイン」と呼ばれたといいます。
お釈迦様の父王は仏陀となられたお釈迦様に一度自国にも帰るように使者を何人も送られましたが、聞き入れられませんでした。
すべての使者がお釈迦様のご威光に接し出家してしまい、お釈迦様の居られる竹林精舎に留まってしまってしまうからでした。
そこで父王は、最も信頼し、お釈迦様の朋友で合ったカールダインを使者として送られました。
彼は出家した後、お釈迦様に帰国するよう勧めその任を果たしました。
常によく問題を起こし、お釈迦様に叱られる、と多くの経典に出てくる「ラールダイン」とよく混同されますが、別人です。
しかしカールダインにも従来
窃盗癖(せっとうへき)があり、一般の法座に出席することをお釈迦様に止められていました。
晩年懺悔の生活を送ったため、ついに阿羅漢の位に達したといいます。それ故あまり他の経典にはでてきません。
カールダインの窃盗癖ですが、インドの文化で、多くもっている者は、持っていない者に分け与えるという考えがあるようです。
カールダインも「あなたは多く持っているでしょ。だから持っていない者に分けなさい」という思いから、人の物を黙って分配したのかもしれません。それが当たり前と考えていたもかもしれません。)

摩訶劫賓那(まかこうひんな)

 『マハーカッピナ』
(もとはインドの辺境の小国クックタの国王であったといわれています。
国王であったころから学問を好み、すぐれた師を国に招いたりしていました。
お釈迦様に
帰依(きえ)し出家して弟子となりました。
徳が高く行にすぐれていました。
天文学や数学に秀でていたので、
()星宿(せいしゅく)第一と言われていました。)

薄拘(はく)()
『バックラ』

(ヴァンサ国の都コーサンビーの長者の家に生まれました。
幼いころヤムナー河に落ち、巨大な魚に呑み込まれてしまいました。
やがて下流の漁師がその魚を釣り上げ、ベナレスの長者にその巨大な魚は買われた。
長者の妻が魚の腹をさくと、呑み込まれた男の子が出てきました。
子供がいなかったこの長者は大変喜び、その男の子を育てることにしました。
その話を聞いた川上の長者は、我が子に違いないと思い、返してくれるよう頼見ましたが聞き入れられませんでした。
両者の争いは決着がつかず、国王に
裁断(さいだん)(あお)ぐこととなりました。
国王は「両家の子として育てるように」と告げました。
そこでこの子は「両家」という意味である「バークラ」と呼ばれるようになりました。
成長してお釈迦様の弟子となりましたが、ひとり静かに修行するのを好み、人のために説法することはなかったといわれます。
小欲(しょうよく)()(そく)の簡素な生活を保ち一度も病気にならずに、百八十歳まで生きたといわれています。)

阿 楼駄(あぬるだ)
『アヌルッダ』

(お釈迦様の十大弟子のお一人で、お釈迦様の
従兄弟(いとこ)
ある日、お釈迦様の説法を聞きながら
居眠(いねむ)りをしてしまいまい、お釈迦様に叱られてしまいました。
アヌルッダは深く反省をして「今後はお釈迦様の前では眠らない」と誓いをたて、
不眠(ふみん)で修行に励見ました。
お釈迦様はその厳しすぎる誓いを止めるようにしばしば注意しましたが、誓いを実行し続け、とうとう
視力(しりょく)を失ってしまいました。
しかし肉体の視力は失いましたが、「天眼」を得たといいます。
「天眼」とは、どんな所でも見通せるといわれる、神通力の一つですが、真理を見通せる目という意味でしょう。
人間は欲望(煩悩)によって、実際に見えているものでさえ、違うように見てしまいます。
例えば、お腹が減ってペコペコで何か食べたい時に見た「てんぷら盛り合わせ」と、お腹一杯でもう食べられない! と思っている時の、「てんぷら盛り合わせ」は同じものであったとしても、見え方が違ってきます。
このような欲望(煩悩)に左右されずに、物事を感じることができるようになったということなのでしょう。)


お弟子達お一人お一人の生き様は、単なる面白いエピソードとして終わることなく、私達が生きていくうえで、多くのことを物語ってくださっています。現在自分の生き様を見つめる上で、多く教えられることがあるように思います。

【 】 には原文(お経のお言葉そのまま)を書きました
『 』 には現代文で意味を書きました
( ) には注釈や、おあじわいを書きました

                                              底本は鳩摩羅什訳のものを使いました
                                  (参考にさせていただいた文献・御著書はページ最後に 載せさせていただきました)

仏説阿弥陀経 序文 その1