ドクターボンズ の経典のあじわい

周利槃陀伽(しゅうりはんだが)
『チューダパンタカ』
(釈迦の弟子の中で一番の愚鈍と言われていました。
兄のマハーパンタカは秀才でお釈迦様のもとで阿羅漢の位に達しました。
その兄に導かれ出家したのですが、あまりの愚鈍さに兄にも見放され、精舎から追い出されてしまいました。
お釈迦様は途方にくれていたチューダパンタカを精舎につれて帰りました。
チューダパンタカよ、お前は私について出家したのではないか。兄に追われたのであれは、なぜ私のところに来ないのか。さあ、私のところに来るがよい。パンタカよ。出ていくことはない、お前はちっとも愚か者ではない。世間では、自らを賢者であると自負している者が多い。しかし、愚か者であるのにそれに気づかず、自らを賢者であると思いこんでいる。その者こそが愚か者である。お前は自分が愚か者であるということに気づいている。だから、お前は愚か者ではないのだ。
と教えられました。
そして一本の箒を与え「ちりを払い、垢を除かん」と唱えながら掃除をするように言いいました。
チューダパンタカは何日も何日も愚直に、
ちりを払い、垢を除かん。ちりを払い、垢を除かん。
と繰り返し唱えながら、掃除を続けました。
無心になってお釈迦様の言いつけを守った彼はある日
「人間の心の中にも多くの塵や垢があり、それらを除き取るこそが最も大切なことである」
ということに気付きました。
後にお釈迦様の教えを悟り、阿羅漢の位に達したといいます。)

難陀(なんだ)
『ナンダ』
(お釈迦様の異母(いぼ)(てい)
お釈迦様は
(じょう)(ぼん)(のう)とマーヤ婦人の王子としてお生まれになられました。
マーヤ婦人はお釈迦様が誕生され七日目に亡くなられました。
それでマーヤ婦人の妹マハーパジャーティーが
継母(ままはは)となられました。
マハーパジャーティーと王の間に生まれたのが難陀です。
お釈迦様が
仏陀(ぶっだ)となられて始めて城に帰られた時、ちょうど難陀の王子即位式とスンダリーとの結婚式の日でした。
偉大な兄仏陀が帰ってこられたので、難陀は蜂蜜を差し上げようとしたところ、仏陀はそのまま城の外へ出ていかれました。
急いで追いかけていった難陀は、城の外で出家させられてしましました。
偉大な兄に逆らうことはできなかったのでしょうか。
出家してからも難陀は城に残したスンダリーの事を忘れられず、悶々とした日々を暮らしていました。
お釈迦様はこのような難陀をいとおしく思われ、妻より美しい天女を得るために修行に励むようにと
方便(ほうべん)を使いました。
修行を積むに従い、修行の本当の意味を理解した難陀は、愛着の心を振り捨て悟りの境地に達したといわれます。
ちなみに「方便」と「うそ」は全く違います。
よく「嘘も方便」などといい「ああ言ったのは、方便だよ」とおっしゃる方がおられますが、とんでもない言い様です。
「方便」とは「真実に導くため」に使われるものです。
「うそ」はどこまで行っても、「うそ」です。
しかし「方便」は、その先に必ず「真実」「真理」があるのです。
人間には「真理」は見えません。真理が理解できたものを「仏」と呼ぶのです。
だから「方便」を使えるのは「仏」だけなのです。
安易に「方便」などと言わない方がよろしいでしょう。)

阿難陀(あなんだ)
『アーナンダ』

(「阿難(あなん)」とも呼ばれます。
釈迦十大弟子のお一人。 お釈迦様の
従兄弟(いとこ)
お釈迦様がお亡くなる前二十五年間お釈迦様の
侍者(じしゃ)として「あたかもお釈迦様の影」のように仕えられました。
そのため「
多聞(たもん)第一(だいいち)」といわれ、お釈迦様の教えをすべて暗記していたといわれています。
お釈迦様がご入滅の後、第一回
仏典(ぶってん)編集(へんしゅう)会議(かいぎ)で「如是我聞(にょぜがもん)」と述べられたのは有名です。
他のお弟子のお一人に阿難が、
「あなたはお釈迦様のお言葉を、全て暗記しておられる。なんと頭が良いのだろう」と言われたそうです。その時阿難は、
「とんでもない、私は決して記憶力がすぐれていることはありません。しかしお釈迦様のお言葉は、私にとってかけがえも無く大切なお言葉なのです。だから覚えてしますのです。」と言われたそうです。
私達も、いくら可愛いといっても、子供や孫の誕生日をふと忘れることがあります。しかし最も大切な自分の誕生日を忘れることはありません。
自分にとって本当に大切なことは、決して忘れないのです。
阿難にとってお釈迦様のお言葉は、それほど大切なものだったのでしょう。
また阿難は、女性の出家に関し、お釈迦様に進言したと言われています。
女性が仏教教団に
比丘尼(びくに)集団として参加できるようになったのも、阿難の功績があったと言われています。
ちなみに、阿難さん、ものすごく美男子だったそうです。)


羅睺(らご)()
『ラーフラ』

(お釈迦様の実子。釈迦十大弟子のお一人。
「ラーフラ」とは「
(さわ)り」という意味があります。
出家を決意しながら家族への
恩愛(おんない)の情絶ちがたかったお釈迦様に、さらに強烈な恩愛(おんない)(きずな)が生まれたのです。
お釈迦様が
仏陀(ぶっだ)となられて始めて自国へ帰られた時、(きさき)であったヤショーダラは「あれがお父さんだよ、財産をもらってきなさい」と言い、ラーフラをお釈迦様のもとにやられました。
お釈迦様はすぐにラーフラを出家させてしまったといいます。
本当の財産を得たのです。

物欲による財産ではなく、さとりへの道。
仏への道を歩まれることが、も最も大切でかけがえの無いこととする価値観からすると、真の財産を得たことになります。
この意味からも、お釈迦様自身gが出家する折に生まれた「ラーフラ」は「障り」となったのでしょう。
それほど子供と言うのは人間にとって、精神が傾けられる存在なのでしょう。
ラーフラは、舎利
(しゃり)
(ほつ)目連(もくれん)尊者(そんじゃ)の指導を受け立派に悟りを得たといわれます。)

-仏説阿弥陀経ー

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参考文献等
「浄土真宗聖典ー注釈版ー」 本願寺出版
「阿弥陀経の本義」 稲城選恵著 国書刊行会
「阿弥陀経に聞く」 伊東慧明著 教育新潮社
「人物まんだら」 「阿弥陀経のこたばたち」 辻本敬順著 本願寺出版
「一口法話 阿弥陀経を味わう 三十六篇」 藤枝宏壽 永田文昌堂
「浄土真宗聖典 浄土三部経ー現代語版ー」 本願寺出版


有難うございました

【 】 には原文(お経のお言葉そのまま)を書きました
『 』 には現代文で意味を書きました
( ) には注釈や、おあじわいを書きました

                                              底本は鳩摩羅什訳のものを使いました
                                  (参考にさせていただいた文献・御著書はページ最後に 載せさせていただきました)

仏説阿弥陀経 序文 その1